55ESSAY by H. HASEBE
 原発事故に思う 〔2011年10月11日〕




 3月11日の震災から7ヶ月です。私は、震災後、いつのまにか毎月11の日が来るのを指折り数えて待つようになりました。普通「指折り数える」というのは休日やイベントなど楽しいことを待ちわびる思いを表す表現です。私が待ちわびるのは、震災の復旧・復興情報や原発事故関連の安心情報です。いつも、原発事故が終息する夢と、被災地の人たちが「震災なんかもう昔の話だよ」と笑顔で語る夢をみます。現実には、復旧復興対策は遅々として進まず、原発事故はいつ収束に向かうやらわからず、そして被爆対策や除染作業の実効性さえ不明瞭な状況です。せめて毎月11の日には何らかの朗報を、と望むのは、けっして贅沢なことではありますまい。

 今回の大震災では、大地震と原発事故と大津波という震災のトリプルセットが東北地方太平洋岸の住民に大ダメージをもたらしました。MHKが定期的に放送してくれる「その日その時」という被災者ドキュメンタリーを見るたびに、せつない思いで心が張り裂けそうになります。あの大震災の日を境として、なんと多くの人々が突然の肉親喪失を経験したのでしょうか。なんと多くの人々がそれまで思い描いていた人生とは全く異なる世界へと足を踏み出さなくてはならなくなってしまったことでしょうか。私は、自分の生活圏が沿岸地域ではなく、放射能汚染のホットスポットでもなかった、というただそれだけの理由で被災当事者には(当面は?)なりませんでした。しかし、被災地は隣接する地域であり、それは同時に私の故郷でもあります。私にとって、被災者の悲しみ、苦しみ、不安、怒りといった思いがけっして他人事ではありません。

 同じ災害でも、津波被害と原発事故被害とでは事情がまったく異なる、といわれます。私もそう思います。私は福島県福島市の飯坂町出身です。生まれ育った「故郷の記憶」もそこにあり、肉親知人や幼なじみの友人達の多くも、そこに住んでいます。しかし、今回の福島第一原発事故がもたらした放射能汚染は、そのような「故郷の山河」を私から奪いさろうとしています。汚染された広大な山々の除線作業は「とてつもなく」困難です。長い長い時間と膨大な労力、そして多額の費用を必要とするでしょう。現在の日本の経済や財政事情を考えれば、おそらくそれは不可能としか思えない巨大事業です。さらに、技術的にみて、どうあがいても年間1μ㏜の放射線量への復旧はとうてい無理なことかもしれないのです。たとえ除線作業によって「復旧」が叶ったとしても、もともとが特別の経済発展が見込まれていた地域ではなく、もしかすると多くの限界集落を抱え込んだ「地方」の一つにすぎなかった地域です。早晩、財界や中央政界にとって、費用対効果の極端に小さい、「復興」の間尺に合わない、やっかいなお荷物地域になってしまう危険性は否定できません。

 そんなわけで、私の故郷は、いまや将来の見えない、放射能によって汚染された、息も絶え絶えの地域となっています。私の育った家の近くでは、場所によって5~6μ㏜/hの線量が検出されているそうです。福島全体をみても、若い世代がどんどん県外へと避難し、残った者たちも放射能被害におびえる毎日だと聞きます。私は、そのような状況に、悲しみを飛び越して、「怒り」さえおぼえてしまいます。よくいわれるように、原発事故は人災にほかなりません。実際、住民に密着している市町村行政と異なり、福島県の行政サイドでは、どうも原発事故を引き起こした「原子力村」勢力の影響下、住民の生命を第一にする論理とは少々異なった論理で「住民対策」が進められつつあるようです。今回の放射能汚染の実情をみれば、チェルノブイリ級の放射能被害が生じていることは明瞭なのですから、行政がまずもって行うべきことは、住民の生命を第一義的に守るための放射線対策であり、あったことは疑い得ないことでした。さらに、国の政治と行政が行うべき事は、国策としてのエネルギー政策を早期に再検討し、「脱原発」への舵取りを行うことだったと思います。しかし、現実は結果として逆の方向へと進みつつあるようです。いまや守旧勢力といわれる「原子力村」の利害関係者が、あちこちで、必死になって巻き戻しをしている、という話も伝わってきます。また除染事業などで行政と結びついた利益の享受をしているという指摘もなされます。

 私も社会科学者のはしくれとして、事故後、このような原発事故が発生した原因について、しっかりと調べ、考えてみなければならない、と思うようになりました。そんな中で、最近、小出裕章さんの『知りたくないけれど知っておかねばならない原発の真実』(幻冬舎)という本を読むことができました。

 これはとても興味深い本です。私は、入手後一気呵成に読了しました。すでに9月10に出版されたものでしたが、引く手あまたで点等では早々と売り切れ、増刷本を10月初めになってようやく入手できたのです。多くの方がすでにご存じでしょうが、小出さんは、京都大学原子炉実験所で40年も原発事故による放射能汚染の研究をしてこられた研究者です。脱原発の態度表明をしたが故に、原子力研究の「アカデメイア」から身を離して研究してこられた方だ、とも聞いています。私にとっては、福島第一原発の水蒸気(水素?)爆発直後、偶然「種まきジャーナル」ラジオ番組で切れ味の良い状況分析と基本的知識を提供してくださった、信頼できる「専門家」との出会いでした。少ない事故情報と「安全」大合唱の中で、逆に不安を募らせていた時期でしたので、こんなまっとうな分析と情報発信ができる研究者が日本にいたのか、と感動しました。私は原子力の世界についてズブの素人ですから、小出さんの解説によってはじめて、今回の原発事故が何であるのか、得心がいったのでした。以後、夜12時前後にYouTubeのMP3TUBEで聞けるようにしてもらった小出さんの話を聞くのが日課となりました。この本は、その放送の内容を時間軸に沿ってまとめたものだそうです。私にとっては、3月以来受けてきた毎週原則4回のレクチャーを総復習させてもらった次第。耳に馴染んだ「とてつもない」とか「~のです」などという言葉遣いはもとより、江戸っ子特有の切れの良いツボを押さえた語りによって、非常に小気味よく、原発問題に関わる基本的枠組みを学ばせていただいた思いです。

 原発事故の現状と将来については、小出さんの発信する情報(ラジオ・講演・著作、およびそこで触れられた多くの関係する方々の諸研究)、東大の児玉龍彦さんや慶応大学の金子勝さんたちの発信する情報(TV・ラジオ・インターネットブログや、著作と諸論文)等が大きく役立ちます。多くの方々と同様に私も、3月以来マスコミで大々的な安全キャンペーンに関わってきた原発関連の「専門家」や行政官・諸委員の発表や発言にはどうも信頼を寄せることが出来ません。悲しいことでもあります。事故への対応が定まらないのは、「原子力=核」関連組織の背景に、核兵器と抱き合わせに作り上げられてきた世界的規模の核産業および核兵器をめぐる軍事的利害関係が横たわっているからだといわれます。私もそう判断します。日本政府の態度が煮え切らないのも、コストの面から考えると原発が最も高コストであるにもかかわらず「安価だ」と公言して脱原発に反対しようとするのも、将来のエネルギー国家戦略をこの核関連ネットワークとの強い結びつきのもとで進めなければならないという事情があるからなのでしょう(原発コスト問題については、大島堅一さんの学位論文『再生可能エネルギーの政治経済学』2010年がやはり大いに役に立ちました)。

 そんな状況の中で、私は原発事故について語られる言説を信頼する/しないの基準はどこにおかれるべきなのか、ということを考えてみました。結論から言えば、その基準は、発言内容とその行動が、放射能汚染の被災者達の生命や生活を第一にするものか否か、というただ一点だ、というものです。児玉龍彦さんの話では、最近の研究が、たとえ低線量であっても、その放射能が遺伝子を構成する染色体の一定部分を切断すれば遺伝子変異を引き起こし癌を発症させるということです。甲状腺癌に関しては7番のq11領域の切断が原因であることが近年の研究で判明しているそうです。年齢が若ければ若いほど細胞増殖が活発なために、この癌発症メカニズムによる発癌の発症危険性が極端に高くなるので、幼児や若者は、どんな低い数値であっても被爆させてはならないのです。事故当初から低線量被爆が危険である、ということの意味が、ようやくわかった次第です。ちなみに私は50代半ばを過ぎたので、若者と違って細胞増殖も活発ではありませんから、内部被曝にもそう神経質にならなくても良いようです。放射能の線量が高い「汚染」食料に対しても鈍感になっているそうですから、少々放射線量があっても安心して(?)食べることが出来そうです。

 事故当初から、原発推進の立場で報道や主張を展開してきた新聞等のマスコミも、少しづつ脱原発の方向へと主張の軸足を移しつつあるようです。ついこの前まで露骨な原発支持の論調を示してきた日本経済新聞でさえ、10月10日の「オピニオン」欄で脱原発論の必要性を公言しはじめたのですから…。国家レベルのエネルギー政策に対し、私たち一人びとりが態度表明をすべき時期にきているようです。国民一人びとりの生命と健康を第一に考えるなら、やはりドイツやイタリアのように「脱原発」路線を選択すべきだと思います。もしそのような目に見える方向性が次の11の日にでも示されれば…、そんなことを待ち望む今日この頃です。