Tohoku University

Division of International Education and Exchange<br>Graduate School of Economics and Management, Tohoku University Division of International Education and Exchange
Graduate School of Economics and Management, Tohoku University

Study Abroad

Experiences of Japanese Exchange Students

田中 健

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留学先 シンガポール シンガポール国立大学

日本という島国は、海外への渡航手段のほとんどが飛行機です。他方、私の交換留学先であったシンガポールは、マレー半島と橋で繋がっており、近隣海域には違う国の島があります。そこで私はシンガポールに滞在していた間、「陸路と海路で国境を越える」ことを目標に海外旅行をしました。実際時間はかかりますが、少ない費用で移動ができるので、場面に応じて、空路と使い分けて旅をしておりました。シンガポール島の近くにあるインドネシア領のビンタン島へ一時間弱かかるフェリーで行ったり、シンガポールからクアラルンプールへ夜行列車に乗ったり、夜行バスに揺られながらマラッカへ向かったり、と枚挙に暇がありません。ただし、旅にトラブルはつきものです。英領時代からの歴史を持つマレー鉄道に乗った記念を写真に収めたとした際、規制の多いシンガポールならではとも言えますが、シンガポール側の駅員に叱られ、写真を全て削除されてしまいました。マレーシア一人旅の開始早々出鼻を挫かれるアクシデントでした。それでも、バスで先に国境を渡ってから鉄道に乗るというより安価な手段を取らずに、あくまでも鉄道で国境を越えることに拘ったことはロマンに溢れており、鉄道橋を走る列車の車窓から覗いたジョホール海峡の眺めは感動でした。

1年間の留学期間中で、「陸路と海路で国境を越える」という日本ではなかなかできない貴重な体験ができ、この経験は海外生活に彩りを添えてくれました。  

深松 栞 

深松 栞
深松 栞

留学先 スウェーデン ウプラサ大学

私にとってスウェーデン、ウプサラ大学での留学は、生涯の目標を考えるきっかけをくれた時間であり、それを達成していくための通過点の一つでした。留学中、私には大学で受けたある授業をきっかけに、「世界中の全ての社会を環境および貧困者に優しい、平等な持続可能社会へと変えていく」という目標ができました。   それ以来、私は、その目標の達成に必要な能力・経験を身に着けるということを前提に時間を過ごしてきました。 その一環として私がした活動の一つが、「移民不労者の生活援助」でした。ウプサラは、現地の人々は人当たりがよく、居心地のよい街である一方で、不労移民者の方が多く、特にルーマニア人の方が小銭を求めて町のいたる所に座り込んでいるのが目立つ場所でした。私は、目標の達成の過程で、彼らのような、いわゆる社会的弱者の人々との関わりは外せないと考え、現地の援助団体にコンタクトをとり、半年間授業の前に働かせてくれるように頼みました。 移民者の中には、仕事も探さなくてはならない中、小さな子供の為に衣服や食べ物を準備しなくてはならないと苦悩する親や、彼らへの援助に対して心から感謝してくれる方々などがいました。中でも印象に残っていたのは、私よりも明らかに能力がありそうなのに、仕事がなかなか見つからず、母国でも仕事がないと嘆く方がいたことでした。彼らや援助団体の人との半年間を通じて、何が問題で、私はどのようにしてその問題を解決していかなくてはならないのかを深く考えさせられました。

留学が終了した今でも、私はその目標の達成に向けて、私なりに考えられる活動を続けています。まだ私の目標達成に向けた活動は始まったばかりですが、きっかけを与えてくれた交換留学に厚く感謝しております。

鎌田 修也

鎌田 修也
鎌田 修也

留学先 スウェーデン ウプラサ大学

私は北京の中国人民大学に一年間交換留学に行っていました。当初は全く中国語が話せなかったのですが、ルームメイトや友達の助けもありなんとか生活することができました。また留学中、日中関係の悪化や空気汚染問題など様々な逆風もありましたがまったく問題なく生活していました。むしろ中華料理はおいしいし国内旅行するとおもしろいし留学終る頃には日本に帰りたくなくなるほど中国が好きになりました。
今後は中国での経験を生かし、日中間でできる仕事を探す予定です。また中国で多くの韓国人と交流したため韓国に留学も考えています。留学経験は自分に本当に大きな経験をもたらしてくれました。
これからも日中関係はどうなるかわかりませんが、ぜひ日中国交の架け橋になりたいという人は私の後に続いてくれたらなと思います。